報道写真

【写真】阪神高速 転落寸前で止まったバス=(1995年1月17日 午前8時16分のヘリコプターからの中継映像。NHK総合テレビの画面から。)
(C)NHK日本放送協会

チーム写真

どのようにしてこの現場をクローズアップできたのか

バスがもうすこしで転落するというところで止まっている映像は、大変ショッキングでした。バスの運転手さん、乗っていた人についてはいくつかの報道がありましたので、今回はヘリで中継したカメラマンに、どのようにしてこの現場を見つけ中継したのか聞くことにしました。【神戸学院大学チーム】

取材風景

現場に遭遇、即オンエア

撮影したのは、中継のテロップに出ていたNHK大阪放送局のカメラマン片山辰雄さん(52、当時37)です。この夏、広島局から大阪に転勤で戻られて、現在はNHK大阪放送局報道部の映像取材の担当部長をされています。

片:地震が発生して、当時、吹田に住んでいて、食器棚の扉が開いて、食器がガラガラ落ちて。当時は家内と子ども2人。子供たちは非常に揺れに驚いて、怖がっていましたけれど、とにかくそっから、出かけました。
やっとタクシーをつかまえて、NHK大阪放送局に行き、局でしばらくしたら、ヘリに乗って欲しいと、大阪空港へ行って欲しいという話になりました。

タクシーも来ないので、先輩の車に乗ってカメラマン2人で大阪空港に着いたんですね。それがちょうど8時過ぎ。飛び立ったのが8時5分。機体がたまたま2機あった。大阪の機体と、京都女子駅伝が終了して、その日東京に帰る予定の機体が1つ。

<「空飛ぶ中継車」ヘリのカメラを一人で操作>

片:普段大阪にある機体に乗って飛びあがった。それで、すぐ、神戸に行こうと思ったんですけど、いきなり先ほどの現場に遭遇して。
何が起きているのかわからない。高速道路の下から煙が出ているけれども、何の煙か分からない。

1人しかカメラマン乗ってないんですよ。簡単に言うと「空飛ぶ中継車」を1人で扱わなきゃいけない。で、電波を出して、カメラを立ち上げて、電源を入れて、うつるようになってカメラの調整をして、VTRの機械にテープを入れて、飛びあがって、今度は、生駒というところに電波を飛ばして、回線をつないで、映像を出して、それの調整をしながら、今度は送り返しといって、放送が聞こえる送り返しのヘッドホンをセットし…そうしてる間に現場に着いてしまったんです。外を見てる暇もない。無線で、「映像とりますよ」と(局側から)言われて、「はい」としか言いようがない。待ったも、へったくれもあの時はないから。

ヘリ中継の映像は、大阪と東京までつながって、いつでも(放送本線に)とっていい状況になっている。その映像が届いたので、(東京のニュースセンターは)放送中の「おはよう日本」の生放送に乗せた。

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<阪神間の上空に着いたら、そのままオンエアだった>

片:そうですね。何か言った。飛び上ったばかりの人間に、「今、どうですか。何が起こってますか。」と言われても、全く分からない。みなさんは、大きな画面で映像を見るけど、僕らがヘリ機内で撮影に使うモニターは小さい。カメラの操作をするのも、テレビゲームみたいな(ジョイスティックの)操作機械になっていて、両手を使って、右手でカメラの方向を、倒して、下向けたり、上向けたり、横向けたりできるわけ。 左手で何してるかというと、ピント合わせ。フィルターといって、光が入ってくる量を調節するものをとっかえたりとかもする。で、右足のペダルで無線機の操作をする。体全部使って、操作してるんですね。もうかなり、それだけでいっぱいいっぱいになる。 よくあれだけの短い時間のなかで、映像をね、出せたというのは、まあ良かったなと思いますね。1つ段取りを間違えれば、映像は出てなかったと思う。

<家の1階が崩れていても、空から見ると、そのまま建ってるのと変わらずに見える。自分が撮影している画面を見ながら、被害状況を判断するのは限界があった、と片山さんは振り返ります>

片:実際にそこで、何が起きているのか見えてても、読み解く時間がない。こうなってる、こうなってる、こうなってる、の積み上げでしか、もうリポートはできない。
(震災までは)原稿がないと喋れないという意識がみんなあった。ヘリコプターの中継にしても、原稿が先にあった。それがもう、通用しなくなった瞬間。

カメラマンとしては、ヘリで飛び上がったときに、何を思ったかというと、淡路島は、きっとひどいことになっているだろうと。震源と言われていた場所だから。で、淡路島に行こうと神戸上空にさしかっかたら、いきなりそこで止まってしまって、中継に入った。
まさか、被害が大きいこの情報が、(局に)入らないはずはない。電話が切れるなんて信じられない。被害の拡大について、ここまでになろうとは、誰も思わなかった。だから、そういう意味でいうと、原稿100回読んだところでね、あの映像を高速道路が倒れるという、ああいう被害を象徴するような映像を見た時に、国にしても一般市民にしても、本格的な救助が全部動き始めたのかなという印象。非常にヘリコプターの映像が、重要になってくる。

広い映像って僕ら言うんですけど、町が全部見える(ワイドのアングルの)映像だけでは分からなかった。1つ1つ少し、詰めて寄ってアップにして見た時に、はじめて、状況が分かったと。そして、空からの映像と地上の映像を合わせて、見た時に、被害の酷さが伝えられたのかなと。


<片山さんは、あのときのリポートや中継を「もう2度と見たくないね」といいます>

片:やっぱりもっと的確に映像を一瞬で読み解くということができなかった。もっと重要なことがあったのに、たとえばあの高速道路の下から、黒い煙がもくもく出ていて、赤い炎も出ていて…、燃えてるものの近くはこうなってるだろうとか、もしか人がいたらどうなっただろうとか、本当に逃げられたのかとか、そういう思いまでは全然行かなかった。

<片山さんは、「ここは画になる」、「このニュースバリューは大きい」など考える余裕はなかったといいます>

燃料いっぱい飛んで、1回のフライトで2時間半かな。移動も含めて、飛びあがってから、降りるまで2時間半の間に、できることをやったという。 その日の夜まで飛んでたんで。合計で500分。8時間か、飛んだんです。降りた時はふらふらしましたね。
《取材日 2009年9月19日 NHK大阪放送局で》