報道写真

【写真】神戸放送局前から地震後初めての生中継映像が全国に流れた。=1995年1月17日午前7時24分、神戸市中央区中山手通。NHK総合テレビの画面から。
(C)NHK日本放送協会

チーム写真

異常な光景

電柱が倒れている。それを避けながら、車が行き交う。誰の目にも異常な光景の中で、人々はどこへ行こうとしているのか。【つくば開成高校京都校チーム】

カメラマン

中継車が車庫から出ない

 撮影したのは、NHKに残る記録からNHKメディアテクノロジーの千原照男カメラマン(62)だったことがわかりました。当時47歳で、神戸放送局技術部に所属していました。 千原さんは、大阪の工業高校電気科を卒業し、1967年(昭和42年)に入局。スポーツ中継で経験を積み、大阪局で連続テレビ小説などのカメラを担当してきました。当時は、神戸局のデスクとしてローカル放送の技術全般を担当していました。 東灘区渦森台の寮に住んでいて、同じ寮の職員で2台の車に分かれて局に向かいます。千原さんはK記者の車に同乗し、通れる道を探しながら局に駆けつけました。あとの技術職員2人は別の車で局に向かいました。

 局に着いて、まわりを見渡せばたくさんの被害がでていました。屋上の天気カメラは使用不能でしたし、(車庫の)シャッターも壊れ て中継車が出せない状況でした。でも、放送局が放送を出す機能は残っていました。
局の2階からケーブルを伸ばして、なんとか神戸の状況を伝えようと、局前でスタンバイしました。

「本当は、コメントと映像を一致させるカメラワークを心がけるべきやったんですけど、突然だったのでうまいことするのは難しかった」と千原さんはいいます。「普段は細かく撮っているんやけれど、この時はとにかく地震による影響をはやく伝えることを大切に考えて撮りましたね。もっとスムーズなカメラワークのほうがよかったかもしれなかったですけどね」ともいいます。

カメラマン

ぐっと踏み出しアップにした


地震発生1時間38分後の午前7時24分。東京の『おはよう日本』の今井義典キャスターの呼びかけで、中継が始まります。関記者がリポートし、千原カメラマンが撮影したこの中継が、NHKとしては神戸の様子を初めて生中継で全国に伝えた映像です。この画像は、1分23秒のリポートの最後のアングルです。

画面奥に救急車が見えるのですが、千原さんにと尋ねると、「あまりたくさん周りを見ている余裕はなかった」とのこと。ただ、「ぐっと前に踏み出してアップにした」といいます。神戸の現状を届けたい、という気持ちからだったと話してくださいました。

震災のあった日々のことは、混乱の中で覚えていないことも多いといいます。県庁や、遺体安置所、小学校(避難所)に中継に行ったといいます。
「ほんとうは、地震の時の映像を思い返すのも、見るのも正直したくない」という千原さん。仕事をしていくうちに、千原さんは、他の局から応援に来た人々との考えの違いに差があるように感じたというのです。被災した人々の気持ちを考えて撮影しているのか、疑問に思ったことも。
「やはり身内の心配もあったけど、目の前にたくさんの被災者がいたし、休みの日でも、何か自分で役に立てることはないかなぁとか、自分のできる事を探していましたねぇ」と話してくださいました。
《取材日 2009年9月19日 NHK大阪放送局で》
取材風景

全壊指定で局舎移転

神戸放送局2階営業部。窓は割れ、壁のひび割れから外が見える。柱約10本に亀裂が入って全壊指定され、24年間使い慣れた建物の使用を断念。神戸市から借用した小学校跡地の仮設スタジオに1月27日に移転せざるをえなくなった。さらに5月10日からは、神戸駅前のHDCビルの一部に移転。震災10年の2005年1月、元のトアロード角に局舎を再建した。(「大阪放送局70年」ほか)